戦争体験の風化を防ぎ記憶を未来に語り継ぐために、「平和のための写真展」が党県連の主催で10月4,5日に開かれ、約80人の市民が参加した。明日都浜大津の大きな会場には、広島・長崎の惨状、南京などで日本軍が行った殺りく、最近のガザの状況などのパネル写真のほか、81年前の瀬田国民学校女生徒たちが描いた絵日記、その絵日記を描いた少女たちの座談会の映像と証言、さらに満州からの引揚者の必死の体験談など多彩な企画が繰り広げられた。
開会にあたって福井勝・県連合代表は「戦争を食いとめ平和も守っていくためには、子どもたちに戦争の実相を伝えていくことが大切」とこの写真展の意義を述べた。
絵日記は、敗戦直前の一年間、5年生の7人が毎日の学校の様子を描いたもので、軍国主義が学校教育を色濃く染めた状況が描かれている。188枚の絵日記は担任の故・西川綾子先生の手で密かに保管されていたが、その後、大津歴史博物館に寄贈され、戦争を語る歴史的資料として大切に保存されている。企画展にはうち32枚のコピーが展示された。
11年前、生存している5人による座談会が開かれ、その様子がNHKスペッシャルの番組に収録された。会場ではその映像が繰り返し上映された。
その一人の内田喜久子さん(92)の証言も行われた。内田さんは絵日記の説明を通して戦時下の学校の様子を説明した。B29の襲来のたびに空襲警報が出されたこと、疎開してきた都会の子どもたちとの交流、近隣の人が招集されるたびに万歳をして送り出したこと、食糧難のために学校で芋を作ったことなどを述べた。参加者からの「戦争に勝つと思っていたのか」という質問には、「そう思い込んでいたから、負けたことはとても悲しかった」。「撃ちてし止やまん」「鬼畜米英」「神風特別攻撃隊」などの勇ましく戦争を語る言葉が絵日記の随所に書かれていることについては、担任の指導ではなく軍国教育の中でごく自然に覚えたと説明した。最後に、「戦争だけはやっていけない。子どもたちを悲しませるだけ」と訴えた。
満州からの引揚者である黒田雅夫さん(88)は、必死の脱出から辛うじて帰還した経験をつぶさに語った。
満蒙開拓団として国内各地から集団移住した人たちは27万人。黒田さんは終戦の前年に家族4人で渡満したが、父親は現地で軍に招集された。敗戦とともに満州全土から引揚げることになった人たちは220万人にも及んだ。それまで日本軍に抑圧されていた現地の人たちの怒りが開拓団に向けられた。突然襲来したソ連軍の蛮行もあった。それらから逃げ延びることができず悲惨な結果になった人たちもいた。家族を失って孤児となった8歳の黒田さんは路上生活をしていたが、幸いにもキリスト教関係者に保護されて日本に引き揚げることができたという。
最後に黒田さんは、「どうにか生き延びることができたから今ここで平和を語ることができる」と述べ、「戦争は絶対だめだと改めて思う」と結んだ。
黒田さんは、中学校教員である子息の毅さんと共に各地の小中学校、高校、大学の平和教育で若い人たちに、「戦争の語り部」として平和の大切さを訴えている。