土井たか子名誉党首の訃報、心から哀悼の意を捧げます

                                                             社会民主党
                                                          党首 吉田忠智
 土井たか子名誉党首の突然の訃報に接し、ご家族をはじめ多くの皆様に心から哀悼の意を捧げます。
 土井さんの逝去は本当に大きなショックです。これまでの土井さんの功績を思い返すと、土井さんを失ったことは
、社民党にとってのみならず、日本の政治にとっても本当に大きな損失ではないでしょうか。
 1986年、土井さんは、女性として初めて日本社会党委員長に就任し、消費税が大きな争点となった89年の
参議院選挙では、いわゆる 「マドンナ旋風」、「おたかさんブーム」を巻き起こし、「山が動いた」といわれた与野
党逆転を実現しました。1993年に発足した細川内閣では、女性とし て憲政史上初の衆議院議長に就任しました。
94年には、「国会改革への一つの提言」(土井・鯨岡提言)をまとめるなど、国会改革にも功績を残しました。
 1996年、社民党の灯を消してはならないという全国の同志の思いにこたえ、第二代党首を引き受け、「ゼロ
からの出発」と「市民との 絆」を掲げて、社民党の再生を目指し、「頑固に平和、元気に福祉」と、全国を駆け回
ってこられました。また、土井さんは、社会主義インター副議長として、 国際的な社会民主主義運動の前進に
尽力されました。2001年には、「北東アジア総合安全保障機構創設」と「北東アジア非核地帯設置」を柱とする
、「21 世紀の平和構想」、いわゆる土井ドクトリンをまとめられ、中国、韓国、モンゴルなどの首脳にも提起する
などの平和外交を積極的に推進されました。「アジア 人権基金」の共同代表として、アジア地域の貧困や飢餓
で苦しんでいる方々、強権政治などの犠牲者や「良心の囚人」を救済するための活動にも取り組んでこら れました。
 田畑忍先生の薫陶を受け、自らも憲法学者であった土井さんは、右傾化する政治に対峙し、衆議院憲法調査会
において最後まで護憲の論陣を展開するとともに、「憲法行脚の会」の呼びかけ人として、全国各地で憲法問題の
講演をされるなどの活動を主体的に担ってこられました。
 2005年、政界から引退された後も、名誉党首として最後まで社民党を見守ってくださいました。
 土井さんが大分に来県されたとき、あんなにも多くの聴衆が集まったことが今も忘れられません。
もっともっと教えを請いたかった思いで 一杯です。安倍政権による特定秘密保護法の制定、集団的自衛権行使
容認の閣議決定など、立憲主義を否定し戦争できる国づくりの動きが進む中、土井さんは、 最後まで、憲法と
日本の政治の行く末を心配されていました。悲しみを乗り越え、土井さんの遺志を引き継ぎ、社民党の再建・再生
を果たし、平和憲法を守り抜 いていくことを改めて誓いたいと存じます。
 土井さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。
土井たか子

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