4月 03 2015
県議選スタート、沢田たか子必勝に向けてがんばります
12月 27 2014
(無題)
12月 11 2014
衆議院総選挙滋賀県連合の街宣行動
11月 28 2014
社民党滋賀県連合と民主党滋賀県連合総支部連合会との政策協定
11が27日に結んだ政策協定は、①アベノミクスによる暮らしと雇用破壊によって拡大されてきた格差を是正します。
消費税引き上げに判断については持続可能な社会保障制度への改革を前提に景気動向を注視しつつ、低所得者
への十分な配慮を行います。②「戦争ができる国」に向かう集団的自衛権の行使は認めず、平和憲法を守ります。
③滋賀県が原発隣接地域であることを考慮し、実効性のある多重防護体制の確立や責任ある避難計画について
国の責任が明確にならない限り原発再稼働は認めず、原発に依存しない社会をめざし、再生可能エネルギーの促進
を図ります。④農林水産業など、「食といのち」、「みどり」を守るため、TPPについては食の安全の確保、国民皆保険
の堅持などの国益を確保するために厳しい姿勢で臨みます。
11月 10 2014
「戦争をさせない1000人委員会しが」出発集会
11月 03 2014
脱原発をめざす市民の会講演会、無事成功裡に終わる
福島からの報告に150人が参加
滋賀県の近江八幡市を中心に活動している「脱原発をめざす市民の会」は、10月25日に近江八幡市のアクティ近江八幡において講演会を開催した。この講演会は福島県双葉地方原発反対同盟代表の石丸小四郎さんを迎えて原発事故の状況、そして現在の福島の状況の話をしてもらった。
石丸さんは、「事故から3年目、被害の深刻さ10の特徴」と題してパワーポイントを使っての講演。
福島第一原発の原子炉基盤整備は、海抜マイナス1.23メートルに位置している。そこにディーゼル発電機が置かれており、津波が来たら「ひとたまりもない」と下請け労働者が再三にわたって指摘していた。「ディーゼル発電機を高所への移動を早くしないと」であった。
「原発1日止めれば、1億円の欠損」と公言し止めたがらない。危険な体質が現場を支配していたと まさに人災であったと報告。
滋賀県近江八幡市は福井県若狭地方の原発から60~70㎞の距離だが、夏季以外は北西の風が多く2時間程度で風に乗って放射能が到達する。近畿の水がめびわ湖は放射能に汚染され、この地域で生活することが困難になる。
今年7月の知事選では、嘉田知事の「卒原発」を継承する「三日月氏」が、自民党・公明党の推薦する「小鑓氏」を破って当選した。
知事などの上部だけに頼らず、地域から一人でも多くの人達が「原発ゼロ」「原発再稼働反対」の声をあげていきたい。
当日、会場には約150名の参加者があった。今後は、参加された人たちとともに脱原発運動の継続と脱原発の声を今まで以上に一回り大きくする運動を続けていきたい。
写真は、石丸さん・千葉さんと終了後の実行委員のメンバーとの記念撮影。
10月 13 2014
「脱原発をめざす市民の会」講演会に参加を!
10月 03 2014
土井たか子名誉党首の訃報、心から哀悼の意を捧げます
社会民主党
党首 吉田忠智
土井たか子名誉党首の突然の訃報に接し、ご家族をはじめ多くの皆様に心から哀悼の意を捧げます。
土井さんの逝去は本当に大きなショックです。これまでの土井さんの功績を思い返すと、土井さんを失ったことは
、社民党にとってのみならず、日本の政治にとっても本当に大きな損失ではないでしょうか。
1986年、土井さんは、女性として初めて日本社会党委員長に就任し、消費税が大きな争点となった89年の
参議院選挙では、いわゆる 「マドンナ旋風」、「おたかさんブーム」を巻き起こし、「山が動いた」といわれた与野
党逆転を実現しました。1993年に発足した細川内閣では、女性とし て憲政史上初の衆議院議長に就任しました。
94年には、「国会改革への一つの提言」(土井・鯨岡提言)をまとめるなど、国会改革にも功績を残しました。
1996年、社民党の灯を消してはならないという全国の同志の思いにこたえ、第二代党首を引き受け、「ゼロ
からの出発」と「市民との 絆」を掲げて、社民党の再生を目指し、「頑固に平和、元気に福祉」と、全国を駆け回
ってこられました。また、土井さんは、社会主義インター副議長として、 国際的な社会民主主義運動の前進に
尽力されました。2001年には、「北東アジア総合安全保障機構創設」と「北東アジア非核地帯設置」を柱とする
、「21 世紀の平和構想」、いわゆる土井ドクトリンをまとめられ、中国、韓国、モンゴルなどの首脳にも提起する
などの平和外交を積極的に推進されました。「アジア 人権基金」の共同代表として、アジア地域の貧困や飢餓
で苦しんでいる方々、強権政治などの犠牲者や「良心の囚人」を救済するための活動にも取り組んでこら れました。
田畑忍先生の薫陶を受け、自らも憲法学者であった土井さんは、右傾化する政治に対峙し、衆議院憲法調査会
において最後まで護憲の論陣を展開するとともに、「憲法行脚の会」の呼びかけ人として、全国各地で憲法問題の
講演をされるなどの活動を主体的に担ってこられました。
2005年、政界から引退された後も、名誉党首として最後まで社民党を見守ってくださいました。
土井さんが大分に来県されたとき、あんなにも多くの聴衆が集まったことが今も忘れられません。
もっともっと教えを請いたかった思いで 一杯です。安倍政権による特定秘密保護法の制定、集団的自衛権行使
容認の閣議決定など、立憲主義を否定し戦争できる国づくりの動きが進む中、土井さんは、 最後まで、憲法と
日本の政治の行く末を心配されていました。悲しみを乗り越え、土井さんの遺志を引き継ぎ、社民党の再建・再生
を果たし、平和憲法を守り抜 いていくことを改めて誓いたいと存じます。
土井さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。
9月 16 2014
10月25日「脱原発をめざす市民の会」講演会参加要請
8月 15 2014