10月25日、近江八幡市の「アクティ近江八幡」にて、「脱原発をめざす市民の会」主催の講演会が開催されます。
講演は、福島県双葉地方原発反対同盟代表の石丸小四郎さんの「福島現地からの報告」と題して、講演をいた
だきます。また、報告では①チームしがより卒原発政策について②滋賀県に避難されておられる青田さんよりの
詩の朗読③彦根・愛知・犬上原発のない社会をつくる会より活動報告を予定しています。
一人でも多くの人が「脱原発」をめざしてほしいとの思いで開催します。
ぜひ! 多くの人のご参加をお待ちしております。
10月 13 2014
「脱原発をめざす市民の会」講演会に参加を!
10月 03 2014
土井たか子名誉党首の訃報、心から哀悼の意を捧げます
社会民主党
党首 吉田忠智
土井たか子名誉党首の突然の訃報に接し、ご家族をはじめ多くの皆様に心から哀悼の意を捧げます。
土井さんの逝去は本当に大きなショックです。これまでの土井さんの功績を思い返すと、土井さんを失ったことは
、社民党にとってのみならず、日本の政治にとっても本当に大きな損失ではないでしょうか。
1986年、土井さんは、女性として初めて日本社会党委員長に就任し、消費税が大きな争点となった89年の
参議院選挙では、いわゆる 「マドンナ旋風」、「おたかさんブーム」を巻き起こし、「山が動いた」といわれた与野
党逆転を実現しました。1993年に発足した細川内閣では、女性とし て憲政史上初の衆議院議長に就任しました。
94年には、「国会改革への一つの提言」(土井・鯨岡提言)をまとめるなど、国会改革にも功績を残しました。
1996年、社民党の灯を消してはならないという全国の同志の思いにこたえ、第二代党首を引き受け、「ゼロ
からの出発」と「市民との 絆」を掲げて、社民党の再生を目指し、「頑固に平和、元気に福祉」と、全国を駆け回
ってこられました。また、土井さんは、社会主義インター副議長として、 国際的な社会民主主義運動の前進に
尽力されました。2001年には、「北東アジア総合安全保障機構創設」と「北東アジア非核地帯設置」を柱とする
、「21 世紀の平和構想」、いわゆる土井ドクトリンをまとめられ、中国、韓国、モンゴルなどの首脳にも提起する
などの平和外交を積極的に推進されました。「アジア 人権基金」の共同代表として、アジア地域の貧困や飢餓
で苦しんでいる方々、強権政治などの犠牲者や「良心の囚人」を救済するための活動にも取り組んでこら れました。
田畑忍先生の薫陶を受け、自らも憲法学者であった土井さんは、右傾化する政治に対峙し、衆議院憲法調査会
において最後まで護憲の論陣を展開するとともに、「憲法行脚の会」の呼びかけ人として、全国各地で憲法問題の
講演をされるなどの活動を主体的に担ってこられました。
2005年、政界から引退された後も、名誉党首として最後まで社民党を見守ってくださいました。
土井さんが大分に来県されたとき、あんなにも多くの聴衆が集まったことが今も忘れられません。
もっともっと教えを請いたかった思いで 一杯です。安倍政権による特定秘密保護法の制定、集団的自衛権行使
容認の閣議決定など、立憲主義を否定し戦争できる国づくりの動きが進む中、土井さんは、 最後まで、憲法と
日本の政治の行く末を心配されていました。悲しみを乗り越え、土井さんの遺志を引き継ぎ、社民党の再建・再生
を果たし、平和憲法を守り抜 いていくことを改めて誓いたいと存じます。
土井さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。

9月 16 2014
10月25日「脱原発をめざす市民の会」講演会参加要請
8月 15 2014
敗戦記念日、平和を誓う
8月 01 2014
臨時代表者会議「知事選総括」
2014年7月31日草津市民交流プラザにて、滋賀県連合臨時代表者会議が開催された。
7月13日に投・開票された知事選挙は、非自民勢力が結集した「チーム滋賀」が推薦した
三日月大造氏が自民・公明党などの保守勢力が支援した小やり隆史氏を破り、安倍政権
の暴走に危機感を抱く多くの国民に大きな励ましを与える勝利を実現した。
我々、滋賀県連合も、知事選挙に勝利の原動力となった「チーム滋賀」の結成から参加し、
選対本部や地区選対にも積極的にかかわり、勝利の一翼をになってきた。今回の勝利を
しっかりと総括し、今後の滋賀県での取り組みが、吉田党首が提起する「護憲・リベラルの
結集」につながるよう、引き続き取り組みを強化していくことにした。

7月 24 2014
護憲・原水禁自治体要請行動
護憲・原水爆禁止滋賀県民会議の自治体要請行動は、蒲生郡竜王町・蒲生郡日野町近江八幡市そして
愛荘町と回ってきました。竜王町の午前10時~愛荘町午後3時までかかりました。
竜王町・日野町は、副町長と議会議長が対応してくれました。愛荘町は町長と議会議長の対応で、
回答内容も1番良かったと思います。近江八幡市は総務部が対応、私の質問(地域防災計画・原子力対策編)
について知らないと言う返事、市は平成24年6月に防災計画の原子力災害編を出しているのに「知らない」。
HPからダウンロードしたものを見せても「知らない」には恐れ入った。
こんな対応では、我々がバカにされているとしか思えない。
懇意にしている市会議員に電話をした。このままでは引き下がれない。
写真は、愛荘町への要請行動の1コマです。

7月 15 2014
福島県からの避難者の訴え
福島県南相馬市から滋賀県大津市に避難されている青田勝彦さんと恵子さんに来ていただき
夫妻の訴えに耳を傾けました。福島県から避難して3年になった。ふるさとは、
避難解除が出ているが帰れない。本来なら安全な基準が1mSv/年以下でなければないのに
20msv/年としておいて、「解除されました」と言われてもとても帰れない。
また、「花が咲く」という歌がよく歌われるが放射能に汚染された土地に何時、花が咲くのだろう?
聞くのは苦痛だと言われる。約2時間夫妻の訴えに聞き入りました。
これだけの人的災害を起こしておいて、東電・国が責任を取らない。国民の追求も弱い。
外国から見れば、おかしな国と思われているのだろう。

7月 10 2014
「脱原発をめざす市民の会」7月学習会の案内
6月 25 2014
明日から知事選挙
6月 16 2014





